四柱推命だけで15年、生活費を賄っている男です。毎日、お客様に感謝しつつ仕事してます。2009年の4月に個人事業で開業して、2013年から株式会社になりました。従業員は誰もいません(笑)。よくある、「ひとり株式会社」というやつです。
1976年生まれの男です。丙辰(ひのえたつ)年生まれ。四柱推命人生の始まり。そもそも、「四柱推命」をいつ知ったのか?いつ、「四柱推命」というものの存在を認識したのか?、その当時の、四柱推命との関わりなどについてお話します。そのあとに、いつから四柱推命の勉強を始めたのか?などをお話します。私みたいな、「四柱推命バカ」はどのように誕生したのかを、このブログに書き留めてみたいと思います。どうぞ気を抜いて読んでください。
就職した会社を2か月で退職して無職になる
2000年の春に、地元延岡のとある企業に就職しました。しかし、そこは今で言うブラック企業でした。休日は日曜日のみでした。とうぜん残業代は出ません。上司のパワハラも結構なものでした(当時、パワハラなる言葉は無かったです)。2か月ぐらい勤務したのちに退職しました。無職になり、実家の自室でゴロゴロ過ごす日々を1か月ほど送ってました。再就職のアテも何もありません。やる気の出ない日々を送ってました。
無職状態に嫌気が差すが、どうしたらいいか分からない。自分自身を知りたくなる。
ある日、「こんなことではいかん!」と思い立ちました。このままでは自分がダメになる。しかし、何をすればいいか分からない。これと言ってやりたい仕事も無い。考えれば考えるほど分からなくなりました。自分はどんな存在で、この人生で何をすべきなのか?自分自身は何のために、この世に生まれたのだろう?人間とは何なのか?なぜ、自分みたいな上手く仕事が勤まらない人間もいれば、上手く勤まる人間もいるのだろう?
「自分自身はどんな人間なんだろう?」「自分自身の人間的な能力はどれくらいあるのだろう?」「何が自分自身の特徴、特質なのだろう?」
2か月で仕事をやめたあとに、上記のようなことを延々と考えていました。上記のような疑問に答えが出せるものを無意識に求めていたのだと思いますが、「それが何か?」はわかりませんでした。また、「求めていること」に自分自身が気付いていませんでした。ただただ、延々と考えていました。そんなある日、暇を持て余していたので、父の所有する書の中から、面白そうなものを探しては目を通していました。
ある一冊の書を見つける。その書で初めて「四柱推命」を知る
何冊かの本の中に、とある宗教家の著書を見つけました。「なんだ、この変な本は」と手に取りました。タイトルをはっきり覚えていませんが、「人生」という用語が含まれていたと思います。パラパラめくって、適当に読んでいたのですが、あるページを読んでいて、ある文章に「んん?」と読むのが止まりました。
そこには下記のように書いてありました。25年近く前のことですが、今でもはっきりと覚えています。たまたま偶然、読んだページに、その言葉が書いてありました。
「四柱推命は人の運命がよくわかる・・・」
その言葉を目にしたのが、人生で最初の四柱推命との出会いです。「ドカーン」と来ましたよ。ものすごい衝撃を受けました。「え~!四柱推命ってなんだ?運命がわかる?すごい!四柱推命を知りたい!自分の運命を知りたい!」と強く思いました。
その本の中で、「四柱推命」という用語が書かれている箇所は、その1ページだけでした。たまたま偶然開いたページにあった、「四柱推命は人の運命がよくわかる」という言葉が、そもそもの始まりです。
四柱推命とは、「運命学」の1つということが分かった。そして・・・
たまたま見つけた1冊の書にあった、「四柱推命は人の運命がよくわかる」という言葉。この言葉そのものの意味がのちのち、私の人生(仕事)に深く深く関わることになろうとは当時、知る由もありませんでした。
その時は、ただただ、「自分自身の人生、運命を知りたい」という動機から、「四柱推命」に興味を持っただけです。その「四柱推命」というものは何やら「占い」的なものらしいと、その宗教家の方の書でわかりました。その方は、四柱推命自体を「占い」とは言わずに、「運命学(うんめいがく)」と言ってました。
「四柱推命」という運命学の存在を初めて知った、当時22歳の私は、「四柱推命の本」を求めて地元の本屋に行きました。「占いコーナー」の書棚を見ると、黄色い表紙の四柱推命書を見つけました。当時、無職で収入は全くありませんが、1000円少しの本を買えるくらいの余裕はありましたので、その黄色い書を購入しました。それが下記の記事で紹介している本です。
私が1番最初に購入した、四柱推命の書です(田口先生の書)。この書は読みやすかった記憶があります。また、通変星の意味合いなどを結構、細かく説明しているので、「本当の初心者」の方には、最初の1冊として取っつき易くて良いかと思います。
私はこの書を何度も何度も何度も何度も読みました。特に私の命式にドーンと出ている、「正官(せいかん)」の箇所は数百回は読んだと思います。田口先生の黄色い書では、「正官」のところに結構良いことが書いているのですが、「じゃあ何で、今、無職でどん底なの?それとも、これから、その本に書いてるように発展するのだろうか?」と怪訝に感じましたが、「まあ、これから発展するのだろう」と前向きに捉えました。私はもともと、根は前向きなので、その田口先生の書に書いてあることを信じ込みました。
23歳頃より、図書館に通った理由は・・・
書店で購入した、田口先生の書を毎日、毎日、読みました。本に書いてる通りに自身の命式を出して、次に家族の命式を出しました。それだけでも「なるほど~」と思うところがありました。私や妹はどちらかというと大人しい性格ですが、お互いに日干は陰干(いんかん)で、天干には正財(せいざい)や正官(せいかん)がありました。
両親は、どちらかというと勝気というか気強い感じがします(私や妹の性格とは全然違う感じ)。命式を出してみると、父、母どちらも日干は陽干で、父は比肩や劫財が多い命式でした。母はわりと楽天的で、時にうるさいほど、よく喋りますが、天干に食神が2つ並んでいました。
家族の命式を出して、私が感じる家族の性格と、命式の天干を見比べただけでも、「面白いな~、四柱推命ってなんだか当たるな~」と感じました。当時は四柱推命における生まれた時刻の重要性も分かってなく、父、母とも出生時刻が分からないので、時干支は出していませんが、それでも「四柱推命は、なんか当たる気がする」と、初心者なりに四柱推命の面白みを感じたものです。
自身も含めて、家族4人の命式を一通り出して、「通変星と性格の関係性」を検証したのちは、延岡の図書館に頻繁に通いました。その目的ですが、図書館に置いてある、宮崎人の年鑑に、沢山の宮崎人の生年月日と、その職業が書いてあったので、それらを片っ端からノートに書き写して(年鑑は借りれなかった)、自宅で命式を出して、生年月日と職業の関係性を検証するためです。
その年鑑には、裁判官とか政治家とか警察官とか、色々な職業が書いてあって、その横に生年月日と性別が書いてありました。「この人たちの命式を出して検証すれば良い勉強になる!」と喜び勇んで、23歳の無職男は、延岡の図書館に通いました。1回で50人ほどの生年月日と職業をノートに書き写して、家に帰って、田口先生の本に付いてた巻末の暦を見ながら命式を出しまくりました。
合計で1000人近くの命式を、年鑑のデータから出したので、単純計算で「50人×20で1000人」で、20回近くは、生年月日の書き写しのために図書館に通ったようです。これが23歳の時の、私の思い出です。楽しかったか?というと、「まあまあ楽しかった」という感じです・・・。もっと若者らしく、色々と遊びたかったけど、無職でしたし、収入相応、身分相応に自分にできること(したいこと)をできる範囲でやっていました。それが年鑑にある生年月日を書き写すための図書館通いです(孤独で地味な作業です)。
当時、四柱推命のプロを目指していたわけではありません。プロになろうとも全く何も考えていなかったです。ただただ、「命式と、職業の関係性(関係性があるのか)を確かめたかった」という感じです。
今思えば、あの時、誰にも言われず自発的に図書館通い(生年月日の書き写し)をするところが、「四柱推命バカ」になる素質があったということでしょう。